ORIGIN AND GROWTH原点と成長
アスピカとは
どんな会社でしょうか?
アスピカは1969年2月、福井の地で「福井県新生活互助会」として創業。
その年に「全国冠婚葬祭互助連盟」の公認を受け、冠婚葬祭互助会企業として、互助会員獲得、結婚式・葬儀をメインに、
福井県・岐阜県を中心に歩んできました。
現在では、結婚式・葬儀から派生して、衣裳、生花、写真や動画等の映像関係、調理部門とビジネスモデルを展開してきただけでなく、
新規事業として、介護事業の立ち上げ、
来るべきグローバル化を踏まえての海外展開、
未来を担うリーダーを生み出すためのホールディングス化を行うなど、多岐に渡っています。
その根底にあるのは常に「どこよりも感謝の心を大切にする企業へ」という思いです。
アスピカの社名の由来
よく、「明日にピカッと」と言われることが、多いです。(笑) ですが、本当は別の由来があります。
皆さんは「スピカ」という星をご存知でしょうか。
「スピカ」という星は、一番光輝く星、21ある一番星のうちの一つです。その光輝く星の中でもトップクラス、つまりAクラスに入る。
そんな会社にしていこうよという思いから、ア(A)スピカという社名が生まれています。
そういった思いもあり、これまでもトップクラスを目指して、様々な挑戦を行ってきました。
アスピカの歴史
同族経営からの脱却
創業後、やがてくる結婚式最盛期の勢いもあり、経営は順調に推移。あっという間に福井でナンバーワンの結婚式シェア率を誇るようになりました。
一方で当時のアスピカは、同族経営の会社となっていました。創業オーナーの一族が9人も在籍し、社内の要職についており、どんなに頑張っても、ある一定以上の役職にはつきづらい現状がありました。
当時、入社したばかりの現社長の渡辺は、これでは従業員が成長しない、さらなる発展のためには、頑張る人がきちんと評価され、経営陣に加わる、そんな会社にしなくてはいけないと考えました。
サービスレベル日本一への挑戦
渡辺が部長職に就いた時期から少しづつ改革が進み、今では同族は二人しかいない、家業から企業へと変革しました。
その過程で、社内の意識改革も大きく進みます。
その最たる例が「葬儀屋からサービスレベル日本一への挑戦」です。今でこそ、葬儀業というのは人生の最後を司る「最高のサービス業」だと言われますが、少し前までは、「サービス業」というよりも「葬儀屋」として、不人気な仕事でした。
「なぜ、こんなにも、涙ながらにお客様から感謝を頂けるお仕事なのに、不人気なんだろうか」その思いから「葬儀をサービスレベル日本一に」という改革が始まります。かなり珍しかったと思いますが、国内トップレベルのサービスを知るために、ホテルや旅館といった異業種へ研修に行き、学んだものでした。
新部門設立・事業展開、
そしてステージは世界へ
その後もアスピカの歴史は挑戦の連続です。
葬儀のサービスレベルは上がりましたが、葬儀をする時だけでなく、その前後のお困りごとも解決できるようにと、サービスの幅を広げて来ました。
新規事業もいくつも立ち上がりましたが、近年ではそのステージを国内だけでなく、海外にまで展開しています。
常に新しいことに挑戦することが
アスピカの経営哲学である
100年企業を目指すにあたって、大事なこと。それは一代では築けないということ。
何世代かに渡って築いていく必要があるということです。当然私から次の世代へのバトンタッチも含まれます。
そして、皆さんの社会人生活の方が間違いなく私の社長人生より長い。
そう考えたときに「次の世代に何を残せるのか?」ということをよく考えます。
そしてその答えが「入社したい!と多くの学生が思ってくれる会社にする」ということだったのです。
ただ次世代へバトンを繋ぐだけなら、ここまでチャレンジしなくてもいいのかもしれません。
ですが、私は皆さんの人生をより幸福なものに、豊かなものにする必要があります。
そして、私が受け継いだ時より、より会社が良くなったと胸を張れる状態で次世代へバトンタッチしたい。
だからこそ、アスピカは挑戦を続けます。